美味しいLIVEを味わうDIARY

レッズと音楽を美味しくいただきます

LIVE復活記念の2020年7月4日

長い中断を経てJ1が7月4日から再開。また、YouTubeとかの動画では見てたけど、初めて有償でチケット代を払ったLIVEをオンラインで見る"絢香 RoomAyaka Vol.6 -ONLINE-"も7月4日。

両方ともホントの意味での"LIVE"ではないけど、コロナ禍を経てやっと戻ってきたLIVEへの第1歩として、同じ日にあるのは記念日になりましたね(^-^)

とにかく長かった〜…💦

週末には埼スタやawayに行き、また毎週のようにLIVEに行っていた日常が遥か昔に感じられます…

この日常がホントに有難かったんだな…とつくづく思います。

それぞれのレビューはまたやりたいけど、7月4日は素晴らしい日になりました。
また感染者が増えてきたり障害もあると思うけど、少しずつ乗り越えて直接LIVEを見れる日を楽しみにしたいです(^^)

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レッズ❤を確認する6月⑨

永井雄一郎

Jリーグが始まった時に、華やかさはヴェルディ男臭さはレッズ…みたいな色分けが明らかにあったよね…な話をしましたが、異色の華やか部門トップ(たぶん)が永井。

デビューが鮮烈で、1997年開幕マリノス戦で素晴らしいドリブルを見せてくれました。
それまでのレッズで高卒新人がいきなり大活躍することはまず無かったので胸躍りましたね〜♪(^^)しかも長身のシュッとした選手とは驚きでした。

ただその鮮烈さが仇となって、その後はギャップに苦しんだ印象があります。
カールスルーエに1年くらいレンタルされますが、それも成功したとは言い難く、戻ってもレギュラーを取れたら外国籍選手が来てサブ…を繰り返した感じもします。当時のレッズは毎年補強してたしね(^^;)

それでも永井はめげずにエメやトゥットやワシや達也たちと競い、大事な場面で決めきる勝負強さを見せてくれました。
さらにスケールの大きいドリブル突破やシュートを見せて、才能を発揮しました。そこがその他大勢の、消えていった期待の選手たちと違うところで、レッズのリーグ優勝やACL制覇に貢献してくれましたね(^^)


【伝説のゴール】永井独走2004年VSヴェルディ戦SPECIALVersion

これも何度見てもスゴい(^^)そしてこのドリブルの独特感も永井ならではで、やはり彼はスターでした。

レッズに2008年まで約10年いてくれた後は清水、横浜FC、和歌山、群馬…と動いて現在は神奈川2部のはやぶさイレブン。そしてそこの監督はレッズ華やか部門上位?の阿部敏之という巡り合わせ。やっぱりサッカーはエンタメとして華やかな方がいい〜♪(^^)

レッズは今でこそ健勇や汰木がいるけど、一時はトシやヤジを放出する暴挙?陽介や槙野もカッコいいけど華やかとは少し違うもんな…

永井は行く先々でクラブや地域を明るくしてるでしょう。いるだけで気持ちを上げてくれる稀有なプレーヤー…体が動く間は頑張って欲しいな。

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レッズ❤を確認する6月⑧

坪井慶介

レッズ史だけでなく日本サッカー史に残るスピード系ストッパー。
他に思いつくのは…鈴木秀人や薩川くらいかな。とにかくこの選手が後ろにいるだけで、安心感は絶大でした。

大卒で実戦的なだけじゃなく、人柄も良くて愛されるキャラでした。水内さんの後継者?狙ってる感じかな(^^;)

レッズに入ったタイミングも絶妙でした。J2から上がった1年目2001年は混迷具合でベスト(ワースト?)3に入る年(^^;)
混迷し過ぎたからエメが獲れたのかもね…と思うほど(^^;)で、今度こそホントに本腰を入れてチームをリビルドする…でオフト監督とヤンセンコーチに来てもらって1からチームを作るタイミングでした。

過去を振り返っても、ここまでチームを最初から作る工程を見れた事は無かったです。ホントに寄せ集めからスタートするのってこんな感じかも…と思えたほど。

なんと最初はパスを相手の足元にしっかり付ける…だった(^^;)他にもトライアングル、受け持ったマークは地の果てまで追いかける…と、当時でも驚きの超シンプルサッカー。

クラブに入ってすぐに試合に出れて、基礎の基礎からみっちり教わってチームと一緒に成長していける…ここでクラブに入った坪井や平川・堀之内・長谷部にとっては最高のチーム状況・環境だったでしょう。

坪井はそんな中で驚きのマンマーク能力とカバーリング能力を発揮して、オフト監督のチームに欠かせない存在に、いきなりなります。

だけど最初は、いくらエメがいても結果は出ません。それでも徐々にチームがチームらしくなって、ちょっとずつでも進歩してちょっとずつ結果が出るのを見るのはとても楽しかった。

もちろんしっかり守ってれば後はエメがなんとかしてくれる…があったのは確かだけど、超シンプルが故に運動量が多いしインテンシティも高いし頭も使うサッカーは大変さが伝わりました。

そういう、大変だけどやることがハッキリしてるサッカーで坪井は本領発揮しました。足はとんでもなく速くて戦術に忠実。彼にマークされた選手は傍目にも嫌がってるのが分かりましたね。

翌年達也覚醒して、カップ戦で最強になったレッズ。ファイナルで勝ってついに初タイトル〜♪(^^)ホント嬉しかったな…
エメと激突した時は心臓が止まるかと思った(^^;)包帯ぐるぐる巻きで出てきて奮闘してくれて、感動しましたね。レッズでのハイライトの1つでしょう。

その後レッズは黄金期を迎えますが、監督がオフトからギドに変わっても坪井は重用されました。むしろギドの個人能力重視にも合ってたかもしれません。
パートナーの外国籍選手はゴツい選手が代わる代わる来てくれたけど(ゼリッチニキフォロフ・アルパイ・ネネ…ある意味闘莉王も)、彼らにとってもスピードのある坪井の存在は相互補完という意味で実力を発揮できた要因でしたね。

ただ、ほぼずっとレギュラーを譲らなかった坪井も、フィンケ監督になって改革する頃になると、4バックを使うようになったこともあって苦戦しました。

ラインディフェンスの動きだったりスペースを見るディフェンスになると、坪井の強みが少し薄れる感じはありました。
またビルドアップに難点があるのも確かなので、流れ的にオールラウンダーが求められるとスペシャリストは厳しいです。

そこへミシャがやってきてさらに足元を求められるとどうなるかな…と思ったけど、3バックになったのもあってまさかの(^^;)復活。

1年目は最終節で感動のACL枠入りと良いシーズンだったけど、坪井はぎこちないながらミシャサッカーに付いていけたのはホントに驚きました(^^;)

翌年モリが来てさすがにサブになり、湘南→山口で引退。身体能力を武器にする選手としては長持ちしたと思うし、最後の方は経験をチームに伝える役割が出来てましたね。

そしてやっぱりレッズを助けて欲しい。岡野もそうだけど、レッズには這い上がってきた泥臭いメンタリティがどうしても必要です。頼む〜♪m(_ _)m

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レッズ❤を確認する6月⑦

山岸範宏

周作の次に書くGKをどうしようか都築と迷ったけど、"ギシさん"こと山岸にしました。

レッズは他のクラブが外国籍選手に頼ることの多いGKというポジションで(ミロを除き)日本人選手で賄ってきたうえに、控えからも素晴らしいGKを輩出してきました。

今の時点でも西部や本間は清水と水戸に在籍し(すげ〜…)京都の順大・新潟の大谷・長崎の徳重とJ2以上に5人もいます。

安藤は大宮でしっかり出場したし、レギュラー組以上にサブ組が素晴らしいと思ってました。

そんな中、Jリーグ全体を見渡しても異色だったのが、山岸と都築のライバル関係。

山岸がレッズに入ったのは2001年だからJ2から上がった年。この年は西部が正GKだったけど、2002年始まってすぐに山岸がレギュラーになりましたね。

2002・03年はエメ大爆発、その上り調子に乗っかって、2003年ナビスコカップ初優勝を経験…とはなりませんでした。
この年ガンバから移籍してきた都築に途中からポジションを奪われ、ファイナルをベンチから見ることになりました。
でもこれは始まりにすぎず、2009年までの7年間(❗)どっちかがレギュラーでどちらかがサブという、代表クラス2人のおかしな関係が続きました(^^;)

2006年リーグ初優勝の時は山岸、2007年ACL優勝の時は都築…と分け合ってる感もありますが、天皇杯は2回とも都築だし、2人が重なってる間はどちらかといえば都築が多かったのかな。よく2人とも我慢できましたね(^^;)

2人を比較すると、センスとトータル能力の都築、シュートストップとメンタルの山岸…かな。タイプが全然違ったのが良かったかもしれません。
どっちが優れてるとかは無かったし、代わるタイミングはケガや代表があって…とかだったから、1つしかポジションがないGKの難しさでした。

個人的なタイプは都築のようなGKだけど山岸にはかなり惹かれました。
とにかく最後の砦として最強に頼りになるのと、彼がベンチにいるときの雰囲気がすごく良かったところかな。
人間性も素晴らしかったですね。山岸がベンチにいた当時のレッズは大変な贅沢でした。

都築の方が先に引退して、また正GKに戻ったけど、その後少しで順大が台頭してきて、ミシャになったら足下の差で順大がレギュラーになってしまいました。

2013年に失点が増えたらまたレギュラー戻ったりしたけど、2014年に周作が来てさらに厳しくなり、山形へレンタル。
そのまま山形→北九州で引退。山形ではプレーオフで磐田に競り勝つヘディングシュートを決めて伝説になりましたね。これはいつ見てもトリハダモノです。


J2昇格プレーオフ山岸ゴール


結果レッズには生え抜きで13年半もいてくれて137試合。うーん…彼の実力としてはあまりに少ないとは思いますが、インパクトはそれ以上、周作が来るまでレッズのキーパーといえば"ギシさん"でした。

暢久の引退試合の時も盛り上げてくれました。やっぱり彼のような人はチームにとても必要です。
今はJFAアカデミーのコーチという事ですが、その後はレッズに戻ってきて欲しいな…

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レッズ❤を確認する6月⑥

ゼリコ・ペトロビッチ

マリッチを書きながら顔が浮かんできたゼリコ。彼もファイティングスピリットや献身的プレー、レッズ❤といえば思い出す選手です。

レッズの外国籍選手といえば、屈強で高さがあるセンターバックか、ポストプレーヤーや点取り屋が多いけど、ボランチ主体のユーティリティはあまりいません。

ゼリコが来てくれた時はちょうどJ2への混迷時代の入り口あたり。チームとしてうまくいく時もあるけど、基本イマイチでした。
その行ったり来たりをチームとしてもがいてる中、懸命に頑張ってくれました。

加入したのはほぼ伸二と同時。前からいるチキや石井と組む中盤はなかなか渋かったです。
4人とも素晴らしい選手だけど、チキと伸二が途中から息が合ってきたのに、ゼリコは特に伸二とリズムが合わなかった。
原監督は自由にやらせる方だったから、重要な2人が合わないとチームもノッキングしがち。
で、新人の伸二はなかなか前を向けないのでストレス溜めてましたね(^^;)
それをカバーするために、トップに入った福永ができるだけ伸二のそばでプレーして、ポスト的な役割をしてました。みんなオジェック・ギド時代の次を作ろうと必死でしたね。

私このチーム好きだったし、上手く噛み合えば翌年J2に落ちる事は無かったかな…
それでもタレント揃いのチームが落ちるときはこんなもの。悪い方へ転がるのを止めるだけでも大変で、去年私たちはその思いを久々に味わったけど…


そんな中、ゼリコは技術があったわけじゃないけど、必死に戦ってくれました。
それは鬼気迫る…な表現が最適で、サポーターの危機感ともリンクしてました。

マリッチが記録より記憶…と言ったけど、ゼリコこそ最もそれに相応しい。J2の前半まで、ゼリコはレッズの魂でした。実際に見ていたサポーターにはそれが伝わってましたね。

監督時代の印象が悪くてあまり名前が出なくなったのは残念だけど、少なくとも彼のレッズ❤はホンモノで、レジェンドの一人です。
何かのタイミングで日本に来てくれたら会いに行きたいけどな…

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レッズ❤を確認する6月⑤

トミスラフ・マリッチ

レッズの外国籍選手の歴史は、スーパーな選手から顔を思い出すのも難しい選手までバラエティーに富んでますが、マリッチも最初の流れはその他大勢の一人だったと思うけど、記録より記憶で鮮烈なインパクトが残る選手になりました。

レッズはとにかくエメがいなくなって混乱してました(^^;)
ほぼ同時に獲れたロビーはギドルートで、でも点取り屋はそう簡単に獲れない。
2004年にもテストに落ちてたマリッチは、レッズとしてファーストチョイスじゃないのは確かでしょう。ただ、マリッチはそんな屈辱など関係なく、ひたすらレッズ❤を貫いてくれました。

彼は点を取るのも上手いけど、サポの❤を掴むのはもっと上手かった(^^)ゴールを決めた後、胸のエンブレムを掴んでサポの方に向かっていくのはいつもグッときました☺みんなやってることは一緒ですが、なぜかマリッチのはハートに訴えかけるものがありましたね。

見た目の動きや雰囲気にはそこまでの凄さが無かったからかもしれません。
高さが特にあるわけでもなく、足元もスピードもパワーもトップレベルでは平凡。
だけどタイミング良くゴール前に入り、泥臭くてもゴールに押し込むスキルや嗅覚はサイコーでした。
エメと達也頼みのサッカーから切り替えざるをえなくなり、そこへちょうどロビーと一緒に入ったのも運が良かったかな。

半年だけの在籍で天皇杯制覇に貢献。それだけでなく、同じシーズンで全く違うサッカーを成立させたのもレッズの歴史では異例でした。ギドのサッカーの中で一番上手くいったのが2005年天皇杯だったと思いますね。

そしてここまでサポに愛された選手も稀です。啓太の引退試合で来てくれて、サイン会に参加できてホントに良かった(^^)彼はずっとニコニコしてましたね!

あの半年間を経験したレッズサポでマリッチを忘れる人はいないでしょう。もう来てくれることはなかなか無いかもしれないけど、また会いたいな…


マリッチゴール集

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レッズ❤を確認する6月④

田中達也

先日水内さんのYouTubeで見たけど、相変わらず達也は若いですね。
雰囲気や話し方は2001年にレッズに入った時とあまり変わらない?
当時のレッズ的にはJ2から上がった年で、達也が意外に残ってて獲れました…な事を誰かが言ってた気がします。

達也は瞬間的スピードと、その使い方が素晴らしかった。
ワンダーボーイと呼ばれたけど、確かにあのオーウェンと似たプレースタイル。
スペースが狭くても突破されたり裏取られたり…DF的にはかなり嫌な選手。
さらに献身的な動きも出来るし、エメルソンのパートナーとして完璧でした。
エメの時も言ったけど、お互い技術もあってスピードも得点感覚もスペースの作り合いもあるので、DFから見て悪魔のような2トップだったでしょう。

その結晶が2003年のナビスコカップ。レッズにとって初タイトルだったけど、これがあってその後のタイトルを獲る土台が出来上がりました。

2005年に大怪我をしてからはケガとの戦いになり、切れ味やスピードを武器にする選手にありがちな問題がよく起こるようになったけど、常にレッズの魂であり続けてくれました。

そしてミシャ1年目までの12年間、良いときも悪いときもレッズを助けてくれて新潟へ移籍。送り出すときは泣きましたね〜😭
で、新潟も今年でまさかの8年目。ケガの多いFWとしては?驚きの長寿になりました。

やっぱり新潟でも相変わらずのサッカー小僧で愛されてるでしょう。今の新潟で7年以上の選手っているのかな?

まだまだ走り続けてね!


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