前回に続き、25年間を振り返りながら再認識するのはやはり福田さんの偉大さ。
私にとって最も好きなプレーヤーであり、レッズでは最高のレジェンドと言っていいでしょう。
私が初めて福田さんを見たのは(たぶん)1990年の代表ダイナスティカップだと思いますが、その前のルーキーシーズンで三菱を2部から上げる大活躍をしています。名前を聞いたのはその時が初めてでした。
ダイナスティカップやアジアカップで活躍したのはちょっと見てましたが、当時のサッカー界は圧倒的に読売と日産の2強で、ネームバリューでは柱谷幸さんでした。
日本リーグの試合はほぼ見たことなく(なにせ当時マイナースポーツ)、天皇杯ファイナルで見たことあった日産の柱谷幸さんと田中真さんが加入してくれるのは嬉しかった。
1992年の天皇杯では柱谷幸さん・オズバルドエスクデロ(セルの叔父さん)・福田さんの3トップが活躍したからJリーグもそうなるかな…と思ったら、始まるとなんてことない絵にかいたような福田さんのワンマンチーム(^-^;
柱谷幸さんがケガしたのもあったけど、まあとにかく福田さんがボールに触らないとどうにもならない(^-^;あとはトリビソンノがドカーンと蹴ったボールがたまたまチャンスになる…みたいな(^-^;
クラブもすぐにテコ入れして、ルンメニゲ・ラーン・ミロを獲ったりして多少良くなったけど、そう簡単にチームは変わりませんでした。
若すぎる私でも当時分かったのは、福田さんだけ完全に別格だったということ。それは目に見える得点やドリブル突破だけでなく、雰囲気やボールを持った時の姿勢とか。
ジーコにも言われた、日本最高のプレーヤー。確かに後からアジアカップを見たり、レッズでのキレキレのプレーを見るとそう思えます。
Jリーグ3年目に日本人初の得点王になりますが、福田さんにとって不幸だったのはこの時既に29歳。フィジカルの全盛期は過ぎてました。この年の後は点取りに特化した選手になっていきます。
もちろん木村和司さんやラモスさん、他Jリーグ初期のスーパースター皆さんに言えますが、福田さんの武器は瞬発力や打開力、フィジカルがベースとしてあったダイナミックなプレーだったので、それを余計感じました。
孤軍奮闘だったけど、ホントは日本ナンバーワンの選手…最盛期をレッズの一番苦しいときに捧げてくれました。あの最も悲しいVゴール他、レッズの喜怒哀楽は常に福田さんと共にあり、去年の降格かも…という時の埼スタで話してくれた内容も熱かった。
あの熱さ、愛こそがミスターレッズ、クラブのシンボルです。社長でもGMでも何でもいいから、クラブに戻ってきてほしいな…