美味しいLIVEを味わうDIARY

レッズと音楽を美味しくいただきます

レッズ❤を確認する5月⑩

ギド・ブッフバルト

レッズの歴史上最初のワールドクラスプレーヤーギド。

来てくれた時はホント驚いたけど、それもそのはず、記憶の中の1番古いワールドカップは1986年メキシコでマラドーナの大会だったけど、次の西ドイツが優勝した1990年イタリア大会でそのマラドーナを封じ込めて優勝に貢献。生で見てました~(^^♪

スーパースター度では遥かにマラドーナだけど、チーム力で上回って優勝してしまったのは衝撃的でした。
そんなゲルマン魂を体現してたプレーヤーの一人がギドで、当時の日本のサッカーから見たら遥か天空の彼方にいるプレーヤーであり、まだまだサポーター初心者の私が舞い上がっちゃうのに十分でした。

しかも他のクラブはジーコリネカーリトバルスキー…と超大物いたのにレッズはフェレイラとモラレスだもの…😭あっという間にいなくなっちゃったし。
で、ルンメニゲもカールハインツじゃなくてミヒャエルだし(^^;)
それとのギャップでギドとバインとはサプライズでしたね(^^)

ギドはレッズに初めてプロを叩き込んでくれた人…のイメージです。大きい体にしっかりしたスキル。ゲルマン魂とか以前に、プロの準備・プロのメンタリティ・プロの勝ちへの執着…まだまだアマ感が強すぎるレッズを鍛えてくれました。

それでも入った年1994年は空回り感も強かったけど、1995年オジェックが来ると全部整理されていきなりちゃんとしたプロチームになりましたね。
この年のカウンターは面白いようにハマり、レッズは結局4位。福田さんはいきなり得点王で、去年までとは全く別のチームになりました。


レッズの27年の歴史を見ても、この年は分岐点になりました。
ちゃんと監督選手を揃え、ちゃんとしたやり方さえ出来れば駒場埼スタは劇場になり、普通なかなか得られない経験が出来る事が証明されたからです。

そのキッカケを与えてくれたギド。その後の監督時代にもっと分かったけど、とにかくカリスマの人なんだなと。


正直監督時代のサッカーはもどかしかった。
ワシとロビーに"後はお任せサッカー"になるのはしょうがないとして、これだけのメンバーで上位はともかく下位チームに対してまでゲームの主導権を握れない(握ろうとしない?)

長谷部と啓太はワシと闘莉王の間の広々としたスペースの中で一人で3人分くらいの仕事量(^^;)そのうち過労死しちゃうんじゃ…のレベルでした。
さらに闘莉王は攻撃参加大好き。そのカバーまで啓太はやらされて?ギドが監督初とはいえちょっとお任せに過ぎない?と。
確かにタイトルを獲れたけど、もっといっぱい獲れたんじゃ…と率直に思ったものです。

それでもギドがいなくなった後レッズはトラブル続き、あれだけ個性的な選手たちをまず一つにまとめることの方が重要な事も思い知らされました。選手たちのパス回しの輪によく入ってましたね〜♪(^^)

ここ最近はギドとの繋がりをあまり生かせてない気がします。
レッズにとって大切な財産のギド。今後もまた関わって欲しいなぁ…


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