美味しいLIVEを味わうDIARY

レッズと音楽を美味しくいただきます

レッズ❤を確認する5月①

少なくとも6月スタートは無いJリーグ。ということはまだ最低でも2ヶ月はブランクが続き、始まったとしても無観客試合の可能性も十分あるという厳しい状況です。

レッズも各選手も頑張ってるけど、音楽と違ってやっぱりスポーツには限界がある。
前の記事でこのGWはアーティストのSNSに救われた…と書いたけど、スポーツの良さ、特にサッカーの良さは伝わりません(もちろんしょうがないけど)

そんな中ふと思ったのは、原点を確認したいなぁと。

そこで以前も見た25周年のBlu-rayも見返し、25年史も読んでみました。




やっぱり27年間が蘇りますね〜⚽️大事な事はそれぞれ個人的な出来事とリンクしていて、走馬灯のように…という言葉がピッタリです。

特にBlu-rayには先行予約特典の、Jリーグ初勝利ヴェルディ戦ほぼノーカット版DVDが付いていて、この頃の熱量とか、感情の起伏とか、若さ故のアホな思考回路とか(^^;)色んな景色や思い出が生々しく再現され、ある意味苦しいくらい。

このDVDの解説を福田さんと水内さんがやってますが、確かにお2人仰るように常に全力疾走テンションマックスで、これでケガをしないわけがない…な試合で、この頃は他の試合も大体そうでした。
今となっては信じられないけど、とにかく最初のJリーグ全体に漂う空気感はあまりにも熱く、選手の中にはアマチュアから抜けられなくても、死ぬ気でプロを演じなきゃいけない…くらいの切迫感もありました。

そんな中レッズのJリーグ初年度1993年はサントリー・ニコスシリーズとも10位(最下位)の当然年間10位。ご存じの通りぶっちぎりで弱かった。

それでもレッズサポになったのは、単純に埼玉県に住んでいて、浦和にはとても縁があって子供のころからよく来ていて、第二の故郷のようなものだったから。選択の余地はありませんでした。未だに住んだことはないんだけど…(^-^;

Jリーグが始まる3年くらい前からプロサッカーリーグが始まる動きがあったけど、その頃も大学生で浦和駅付近でしょっちゅうバイトしてました。大学は東京だけど、大好きな浦和に通うのは苦になりませんでしたね。
そして三菱が浦和に来てくれるとなった時の高揚感はスゴイものがありました。それは浦和の町全体がそうで、一部反対はあったけど(^-^;バイトの職場での盛り上がりも凄かったことを覚えてます。プロサッカーが日本に出来るだけでも当時は全く信じられないのに、地元クラブができるなんで夢のようでした。

なのでJリーグ1年目はとにかく負けが当たり前だったけど、辛いとかつまらないとかは全く思いませんでした。ただ、その前の年のナビスコカップ天皇杯はまずまずの成績で、天皇杯はベスト4まで行ったから、その期待感との落差があったのは確かですが(^-^;

Jリーグ初年度の熱気はそんなもの全てを吹き飛ばすくらい凄かったですね。弱すぎるなかでも数少ない武器を使って勝った時の爽快感はたまりませんでした(^^♪

福田さんの打開力・トリビソンノのキック力・広瀬さんのフリーキック・柱谷さんの起点力…あとはただただ皆必死に頑張る。それくらいですかね武器は(^-^;

選手層が薄い・戦術が見合ってない・モラレスとフェレイラはよく分からない、準備が足りてなくて寄せ集め感が強い…後で分かったこと含めてマイナスは山のようにありました。プラスだっとことは上記の武器と圧倒的な熱量くらい。私たちも選手たちと同様、ただただハイなまま1年間駆け抜けた…そんな感じでした。

そして前年のナビスコ天皇杯Jリーグ初年度…この流れがその後の私の27年間を決定づけたと思います。

成績は最低だったけど、体験は最高だった。

レッズは、Jリーグは、やっぱりあの年を忘れてはいけないです。忘れてはいけないのもあるし、結局人が金を払って集まるということはそういうこと。
バブル崩壊のせいじゃなく、その後のJリーグや各クラブのやり方がお客さんの心を掴んでない…そういうことです。
ラグビーもちょっと熱量が下がってきてる感じがするけど、結局熱しやすく冷めやすい国民性を克服できてない例を増やしてるのかもしれません。


私的には最初の年がこれで幸運だったかもしれません。J2に落ちた年含めてこれより弱かった年はなかったわけで、結果に一喜一憂しすぎない…(するけど)でいられてるかな(^-^;

うん!過去を振り返って確認するのもなかなか楽しい作業で、普通の年にはできません。次回は2年目とか、各選手についてとかやってみようかな。

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