美味しいLIVEを味わうDIARY

レッズと音楽を美味しくいただきます

レッズ❤を確認する5月⑧

岡野雅行

ミスターレッズといえばもちろん福田さんですが、レッズといえばカウンター・スピード・泥臭い…というイメージの人たちにとって、象徴的なプレーヤーといえば野人・岡野でしょう。

横浜生まれ育ちながら島根県松江の高校に進学し、そこのサッカー部を1から作るという、ある意味今のガイナーレ鳥取の社長職に通じる部分を当時からやってたような気がします。

日大を中退して1994年にレッズに入りますが、その時鹿島とか6クラブから声掛けられてたらしい…知らなかった(^^;)レッズはとにかく弱かったし、相当熱心に誘ったことでしょう。

暢久や杉山も入った1994年。Jリーグ2年目でもまだまだ弱くて選手層薄く、ゲームに出れた事が後から考えたら良かった。
それでも2年目のレッズもまあ不器用でしたね(^^;)セカンドステージからはギドとバインが入って多少良くなるけど、1年目と一緒で攻撃の形が無い。
唯一水内や岡野がサイドに出されたボールを何とか拾って、とりあえず上げたクロスに泥臭く合わせてゴールに押し込む…
ホント、これくらいしかなかった。後のミシャ時代にcm単位の(ミリ単位だっけ?)ポジショニングなんて言葉が出てくるけど、私を含めこの時代を知る人は耳を疑ったことでしょう(^^;)

そんな不器用な攻撃でも点を取れてしまうのが岡野のスゴさでした。
確かに巧くはなかったけど、サッカーなんて裏取って押し込めばいいのよ…というシンプルな思考にはピッタリで、ダイナミックな岡野のプレーにはシビれました。点を取るのって簡単なのね…


【野人】岡野雅行 爆走伝説!【ゴール集】


2年目以降駒場の熱狂の真ん中には岡野がいました。野人が人間をあっという間に置き去りにして(^^;)ゴールを決める風景は爽快だったな〜♪

日本代表にも入って、1997年ジョホールバルVゴールを決めて"持ってる"選手にもなりました。無名から一気にのし上がりましたね。


ただ、この1997年にはレッズはケッペル監督でつなぐサッカーに転換してあまり上手くいかず、この辺りから岡野もリズムが狂いがちになった気がします。

レッズも迷走して1999年にはJ2陥落。岡野はJ2も頑張ってくれたけど、2001年J1に上がった年のチッタ監督とは合わず神戸へレンタル移籍。
2003年には完全移籍になってどうなることかと思ったけど、2004年ギド監督になった年に戻ってきてくれてホッとしました☺

ここからはレッズ全盛期だっただけに、今度はタイミング良かった。ただしこの時点で32歳、メンバーは以前と違ってめっちゃ豪華。
いわゆるスーパーサブ的な使われ方が増えましたが、そうなると岡野の俊足は生きるし、ベンチは岡野の明るさでまとまる…という好循環になりました。
2004年にステージ優勝、2005・2006年に天皇杯連覇、2006年はリーグとのダブル、2007年にACL制覇…と一番いい時にチームにいてくれて良かった。リーグ優勝の時はパレードの後のセレモニーで”うらーわレッズ"と音頭をとったのも”らしかった”です。

そして2008年でレッズ退団。その後はガイナーレ鳥取で選手生活を終え、今社長兼GM。とっても苦しい状況ですが、いくら松江でお世話になったから…とはいえそういう所へ喜んで飛び込んでいくのも岡野”らしい”です。

レオナルドをブラジルに行って連れてくるとか普通のGMではやらないでしょう。
そのお陰でレッズは助かってますが、ある意味今のレッズに足りないモノもまた岡野に教わった気がします。

そう、やっぱり自分たちでリスクとって、ダメならダメで這いつくばってのし上がらないとね。
ビッグクラブだからそれは出来ない…は分かりますが、まだ"たかが"80億です。そういうこと言ってるから、他のJクラブに抜かれそうになる。
野人魂でギラギラと、野心を隠せないくらいの雰囲気で行かないと。

レオナルドを連れてくる時に、ボールとシューズだけあればいい…(だったかな?)と言われて感動し、それを鳥取の選手たちに伝えたい…って言ってたけど、レッズの選手たちはもっとハングリー精神が無いと思うので(^^;)浦和でもやって欲しいな☺

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