美味しいLIVEを味わうDIARY

レッズと音楽を美味しくいただきます

レッズ❤を確認する5月⑦

ワシントン

25周年Blu-rayの特典DVDで福田さんも言ってましたが、ものすごい熱だったJリーグ初年度で、レッズのキャラクターは硬派・男臭い…と定まった感があります。

まだまだバブルの残り香があったこの時代、ヴェルディを中心にサッカー選手といえばチャラいキャラの代表であり、点取り屋といえば六本木の得点王と言われたものでした…

当時の空気感を味わってないと実感として分かりにくいけど、駒場は明らかに他のスタジアムと空気や匂いが違う。
そして暗めでトラックもあるけど、臨場感高めのギュッとした凝縮感が独特の魅力でもありました。


そんな流れもあってか、レッズはその規模や売上、人気の割に世界的に有名で華やかな外国籍選手が少ないと思います。

ギドはもちろんスーパースターですが、ロビー・チキ・ボリ・バイン・ドニゼッチ・アルパイ…有名さでその次くらいの選手たちも、実力は申し分なくても悪く言えば地味、良く言えば名より実な選手たちでした。
(あ、エジムンドが帰らなかったらレッズとして超異色だったかな(^^;)

そしてワシントンもブラジル1部得点王だったり、セレソンでも点を取ったりと素晴らしい選手ですが、ブラジル代表のあまりの層の厚さから目立ち度としてはまずまずくらい、心臓病のリスクもあったりでヨーロッパのビッグクラブには行かず、ネームバリューも高くなりませんでした。(だからこそヴェルディが獲れたんだろうけど)



レッズ在籍はたった2年ですが、それにしても強烈なインパクトでした。
得点力や高さ、足元の技術、カウンターの時の迫力…もスゴかったけど、一番強烈だったのはポストプレーでしたね。Jリーグでは見たことのないもので、やっぱり世界はスゴいと思ったものです。とにかく懐が深い。

ブラジル人選手らしくプレーヤーモードになると喜怒哀楽がはっきりします。そしてレッズサポの心臓病財団へのチャリティー活動(ワシントンのゴールごとに)があったりして、サポとの絆も深まりました。

対してオジェックとはもう最悪(^^;)絵に描いたような(?)ドイツ人とブラジル人の相性から問題行動多発。こうなるともう誰も止められません(^^;)

結局クラブとはかなり後味悪い感じで退団。悪いイメージなのかな?と思っていたけど、啓太の同窓会的引退試合の時に来てくれて、ボルテでサイン会をやってくれた時はサイコーでしたね(^^)


その日は力の辺りに表れて写真を撮ってくれたり、とにかくサービス精神と笑顔が満載で不安は吹き飛びました😊

他にも時々メッセージを送ってくれたり、先日もレオナルドとインスタライブをやってくれたり、変わらない❤を確認できました(^^)

また浦和に遊びに来てね!


Urawa Reds - Washington Goals 2006

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レッズ❤を確認する5月⑥

小野伸二

繊細なボールタッチ・吸い付くようなトラップ・豊富なアイデア・心の底から楽しそうなプレー…
私たちや伸二と同世代の人たちにとって、彼こそキャプテン翼を体現した選手であり、2度と現れない最高のプレーヤーだと思ったものです。

清水商業時代やそれ以前の伝説は数多く、Jリーグ13チームのオファーの中からレッズを選んでくれた時は興奮しましたね〜♪(^^)

レッズに入ってからは常に苦労があったけど、J2に落ちた時もいてくれたり、フェイエノールトで成功してからギド時代に戻ってきてくれたり、サポーターの気持ちにいつも応えてくれました♪(^^)

③の長谷部の時に言ったけど、見た目頼りなく、プロで成功はムリなんじゃ…と思ったのは長谷部の方。
ですが今も共に現役の2人で無事之名馬なのも長谷部の方で、伸二は慢性的な足元のケガに悩むことになるから分からないものです。
長谷部もケガや離脱はちょいちょいあったけど、戻ってきた時にあまり前と変わらないプレーぶりでした。

伸二のその始まりはたぶん1999年代表の時の膝靱帯断裂で、ますますフィジカルが大事になる時代に向けて厳しかったですね。ガラスの膝になってしまった…

それでもフェイエノールト時代は環境や気質がフィットしたのか、楽しくプレーする伸二が蘇ってましたね。
オランダもだいぶ変わったとはいえ、メンタリティはまだクライフが残ってます。ここで名が世界に知れ渡った事が、その後の伸二を決めたかもしれません。

レッズに戻ってきてくれたのはギド時代の全盛期。オジェックにしてもそうだけど、結果や守備重視だっただけにある意味タイミングも良くなかった。

ボーフム→清水→ウェスタシドニー→札幌→琉球
2回目のレッズを出てからは、タイトルやお金より、自身が楽しんだり地域に貢献する…な方にシフトしていった気がしますね。
でもそれが伸二らしさであり、翼くん的サッカー小僧だと思えます。

ちょっと心配だったのは、最後オジェックやクラブとイマイチな感じだったから、あまりレッズを良く思ってないかな…だったけど、暢久の引退試合や河合の引退試合(伸二の札幌ラスト)に実際に行くと、少なくともサポに対しては問題ないのが分かって良かった😭

世界中で愛されたサッカー小僧伸二。彼が楽しそうな顔をしてるだけで幸せです(^^)
まだ若い時に、プライベートの場面(大宮)でばったり会ったけど、友人と一緒だった彼は全く飾らない、そのままの人だった。あれだけの超有名人であまりこういう人はいないです。

まだ引退してないのに失礼ですが、何番目でも良いから引退試合埼スタでもやってほしいなぁ…


小野伸二 あまりに上手すぎて笑ってしますスーパープレー集 天才のトラップ&ゴール 高校サッカー●Jリーグ 日本代表 フェイエノールト Shinji Ono Skills Pass&Goals


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レッズ❤を確認する5月⑤

山田暢久

Jリーグや海外のサッカーで色んな選手を見てきましたが、彼ほど表現が難しい、好き嫌いの別れ方が微妙な選手は珍しいと思います。

普通嫌われる選手は、問題児で規律違反が多い・あまりにもチャラい・言い訳が多い…等、分かりやすい場合が多いけど、暢久はイエローカードが多いくらいで問題が多い…わけではない(レッズから離れることになった理由はよく分からないけど)。

一番分かりやすい言い方は、飄々としていてつかみどころがない…かな。間が悪い・努力が見えにくい…もあるかもしれません。これでも暢久を正確に表現出来てないかもしれませんが。

イエローカードが多いのも、暢久の身体能力が高いので届くはずがない場所に当たってしまった…とか、審判のレベルの低さとの合わせ技だったり、それが原因で目を付けられたり…なのが多かった。
怒り新党"で取り上げられた、気の毒なイエローカードとかはまさにその象徴で、間の悪い人っているよね…を地で行く存在で、伝説に事欠きません。

それでもレッズにJリーグ2年目1994年から入って約20年、ずっとレッズに貢献してくれました。
彼ほど監督にとって有難い選手はいなくて、とにかく選手としての能力全てが高い。技術・スピード・パワー・攻撃センス・しなやかさ・加速力・ケガの少なさ・ほぼ全てのポジションをこなせる万能性・1対1の強さ…長所を挙げればキリがない。

特に右サイドでの圧倒的な1対1の強さはずっとレッズの強みでした。対応力が凄いというか、全盛期の暢久が本気を出せば(?)ヨーロッパのトップクラブの右サイドバックレギュラーを普通にこなしても全く驚きません。背が低めでもヘディングもあまり負けませんでしたね…

数少ないけど欠点もあり、特に判断力かな。フリーでボールを持った時にフラフラと彷徨いがちなのは埼スタ名物でもありました(^-^;

なのでキャプテンになると分かった時は浦和がザワつきました(^-^;選手間では、性格に問題があるから敢えて言い訳できないキャプテンにしたんじゃ…と笑いながら言ってたけど(^-^;それもあまり笑えない感じでした。

それでもキャプテンとして、いじられながら愛されたと思いますね(^^♪慎三がチャント一番好き…と言ってたけど、確かに盛り上がった感じするな~♪キャプテンにも色んな形があると思ったものです。

引退試合は自腹だから皆来てくれないと持ち出しになっちゃって大変…な話も彼らしくて微笑ましかった(^^♪最後まで暢久らしくて良かったです。最高の引退試合でしたね。

レッズは暢久と平さん引退の後サイドが強みとは言えなくなった気がします。
それはオールラウンダー・ポリバレント重視のミシャ長期政権だった影響かもしれないけど、やっぱりサイドが強くないとサッカーは面白くない(個人的に)。
土田さんの描く方向性はサイド重視のように感じるので、また暢久のようなプレーヤーが現れることを期待したいです。ただ、あのキャラクターもおまけに付いてくるなら、ちょっと身構えてしまうのも確かですが…(^-^;


【タリーさんなんて言わせない】山田暢久魂のゴール集

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レッズ❤を確認する5月④

エメルソン

レッズだけでなく、Jリーグ全クラブの歴史の中で能力ナンバーワンと思える選手。スピード・パワー・瞬発力・得点力・技術…エメより部分的に優れた選手はいても、表面的な能力トータルでエメより上の選手はいなかったと思う。2000年のJ2で札幌と対戦した時に初めて見ましたが、衝撃的でした。その中身は動画で見ていただくとして…


浦和レッズ時代のエメルソンスーパープレイ

今見てもあまりにも凄すぎて笑っちゃうレベル。挙げてない中ではセンスもスゴイです。

彼はさらに”何でも一人でできちゃう人”なうえにチームプレーもしっかりやっちゃいます。確かに有数の問題児ではあるけど(^-^;あのオフト監督の下でちゃんとプレー出来たということは、少なくともエジムンドよりははるかにちゃんとした人だということです… そういえばエジムンドとの2トップは夢見れたなぁ(^-^;
またレッズを出た後に年齢詐称やホントの名前が違ったとか色んな問題が噴出したけど、まあ、エメならそりゃそうだよね…と正直思った(^-^;世界のサッカーはもっと何でもありだし。

ただレッズに入ったタイミングはかなり良かったし、色んな出来事が重なってくれたと思いますね。
J2から上がった最初の年2001年。クラブは気合入れて補強し、トゥット・アドリアーノ・ドニゼッチ・井原を獲りました。で、ブラジル人チッタ監督が頑張ってくれたけどチームは低迷して、さらに1stステージ終了後伸二がフェイエノールトへ移籍。
期待膨らんだ年の裏返しで泣きそうなところへ、その年札幌から川崎へ移籍していたエメルソンを、伸二の移籍金を充ててピッタさんと一緒に連れてくることが出来たのだから世の中何が起こるか分かりません。
ピッタさんがチッタさんから監督を受け継いだけど、2001年はそのまま低迷。埼スタこけら落としであっさり負けたり、踏んだり蹴ったりの年だった2001年が、啓太や達也の台頭含めて2002年以降の飛躍に繋がるとはこの時あまり思いませんでした。

2002年からは厳格なオフト監督になり、最初結果が出ないし問題児エメとの相性も???だったけど、結果的には各選手にポジションをしっかり守らせるオフトさんのやり方がハマりましたね。
当時ですら時代遅れに感じられた、しっかり守ってあとはエメとトゥットよろしくサッカー。エメルソンに最も必要なのはスペースと、スペースを作ってくれるパートナーであり、他の選手が入ってくるとむしろ邪魔、シンプルで習得しやすい上に結果が出るから選手たちも頑張れました。
応用編までは手を出せないから勢いが落ちてタイトルを獲れなかったけど、サッカーで勝つとはこういうこと、シンプルイズベスト、問答無用にエメを生かせばエメは最強の力を発揮してくれる…

2003年はさっき言ったエジムンドを獲ってもすぐに帰ってしまった年だけど、達也が覚醒してレッズ史上最強の2トップが完成。2人ともスピードがあって技術も得点力もあり、スペースを作りあう関係性も出来てました。これぞ2トップ。私的にはこの時のハマった攻撃がレッズ史上一番好きだなぁ…

そしてこの2003年に初めてナビスコカップを獲って初タイトル。レッズの新たな歴史がここから始まりましたね。

エメはここから2005年途中までレッズ最高の武器であり続けてくれました。2004年には得点王。

でも2005年7月にカタールへ移籍。この時もなかなか日本に来なかったり揉めた感あったけど、結果移籍金を残してくれたし、騒動になったのもエメらしかったです。やっぱり選手は問題児の方が面白いね(^^♪

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レッズ❤を確認する5月③

長谷部誠

私の知る範囲内で日本人史上最高のキャプテン的選手。レッズではやらなかったけど、試合中のリーダーシップとか、強気なスタンスとか、the キャプテンでしたね。

それでもそうなったのはレッズの最後の頃から。有名な、初めて公式戦に先発した時に退場してしまうとか(^^;)とにかくキレやすい、直情型の選手のイメージでした。

2002年入った当初見た目には細くて180cmあり、ちょっと大変そう。
伸二とは入れ替えだったけど、同じ静岡の高卒・トップ下…肩周りや胸板の厚みが全然違って正直頼りなく見えました。数多いる技術はあっても消えていくタイプかなぁ…と。

ところが2年目からどんどん試合に出るようになって、驚くほど頼れるボランチとして成長していきます。レッズにはその後、サイズがあってトータル能力に優れたボランチが途切れず入ってくれますが、そのスタートと言っていい存在でした。
啓太とのダブルボランチは補完性も完璧、レッズ史上最高のダブルボランチでしたね。2006年のリーグ制覇他、最盛期に貢献してくれました。

ただ当時ギドの個人能力お任せ戦術の中では、啓太もだけど個を消して黒子に徹する場面が多過ぎでした。
DFラインはしっかりと守るため下がり気味、ワシやロビーは前残り気味で面倒見なきゃいけないスペースが広大で、啓太と共にひたすら奔走、悪く言えば変に才能を消費しちゃってるよね…に見えました。

でもドイツに行ってからはそんな不安も関係なかった。
あのフィジカル5割増しくらいのドイツでボランチだけでなくサイドバックリベロで大活躍。見た目にはそんなに変わったように見えないけどな…

そしてキャプテンとしてスゴいリーダーシップや接着剤的才能を発揮。
啓太のような危機察知能力、DFライン統率能力、サイドバックとしての献身的アップダウン…レッズ時代はそれほど使ってなかった能力まで発揮して、さらに覚醒したように見えました。

それぞれの監督からも欠かせない選手として重宝され、ある意味現代サッカーに最も必要な選手にまで成長した気がします。もはや高卒当時とは完全に別人で、ヨーロッパで最も長く成功した日本人選手と言っても良いでしょう。

レッズは長谷部がいなくなった後、選手のリーダーシップ不足に悩まされる(今も?)気がします。
2008年から2011年の第2期オジェックエンゲルスフィンケ→ゼリコ→堀さん…の変革期で降格危機までいく段階は、啓太や平さんなどリーグ制覇時の主力がまだまとめていたと思うけど、2012年以降はミシャの長期政権で阿部ちゃんキャプテンだけど皆良くも悪くもミシャチルドレン。
ミシャの言うとおりに出来てる間は良くても、うまくいかない時に選手間で自発的に修正したり、言い合いしてでも直す…な感じは出なくなりました。

ミシャのサッカーはギドに比べて遥かに機能的だし完成度が高いけど、選手が争ってでも勝利に拘る…な雰囲気はなくなりました。長谷部を始め責任を取るプレーをする選手が減り、結果を出すことについてはタレント力だけでなく、大人な選手の集まりである必要性を痛感しましたね。代表でものすごいキャプテンシーを発揮している長谷部を見る度に、戻ってきてくれ~と思ったものでした(^-^;

長谷部は未だに現役ですが、サッカー選手はプロになってからプレーもメンタルもどれだけ成長できるかがポイントなのかを体現しました。それはサッカーの能力も大事ですが選手の向上心的キャラクター、チームをまとめる力がどれだけ大事かの証明に思えます。

何年か前に埼スタに長谷部が来て、水内さんが司会のトークショーを見ましたが、こういう時の長谷部は途端に全く普通の優しい人になり、プレーヤーの時の熱い長谷部とは違う人でした。キャラクターの魅力が際立つレジェンド、ドイツが住みやすいみたいですが、また浦和に顔を見せてほしいですね。


【長谷部誠ゴール集】浦和レッズ在籍時 トップ下やボランチを主戦場としていた男

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レッズ❤を確認する5月②

前回に続き、25年間を振り返りながら再認識するのはやはり福田さんの偉大さ。
私にとって最も好きなプレーヤーであり、レッズでは最高のレジェンドと言っていいでしょう。



福田正博

私が初めて福田さんを見たのは(たぶん)1990年の代表ダイナスティカップだと思いますが、その前のルーキーシーズンで三菱を2部から上げる大活躍をしています。名前を聞いたのはその時が初めてでした。

ダイナスティカップアジアカップで活躍したのはちょっと見てましたが、当時のサッカー界は圧倒的に読売と日産の2強で、ネームバリューでは柱谷幸さんでした。
日本リーグの試合はほぼ見たことなく(なにせ当時マイナースポーツ)、天皇杯ファイナルで見たことあった日産の柱谷幸さんと田中真さんが加入してくれるのは嬉しかった。

1992年の天皇杯では柱谷幸さん・オズバルドエスクデロ(セルの叔父さん)・福田さんの3トップが活躍したからJリーグもそうなるかな…と思ったら、始まるとなんてことない絵にかいたような福田さんのワンマンチーム(^-^;
柱谷幸さんがケガしたのもあったけど、まあとにかく福田さんがボールに触らないとどうにもならない(^-^;あとはトリビソンノがドカーンと蹴ったボールがたまたまチャンスになる…みたいな(^-^;
クラブもすぐにテコ入れして、ルンメニゲ・ラーン・ミロを獲ったりして多少良くなったけど、そう簡単にチームは変わりませんでした。

若すぎる私でも当時分かったのは、福田さんだけ完全に別格だったということ。それは目に見える得点やドリブル突破だけでなく、雰囲気やボールを持った時の姿勢とか。
ジーコにも言われた、日本最高のプレーヤー。確かに後からアジアカップを見たり、レッズでのキレキレのプレーを見るとそう思えます。
Jリーグ3年目に日本人初の得点王になりますが、福田さんにとって不幸だったのはこの時既に29歳。フィジカルの全盛期は過ぎてました。この年の後は点取りに特化した選手になっていきます。
もちろん木村和司さんやラモスさん、他Jリーグ初期のスーパースター皆さんに言えますが、福田さんの武器は瞬発力や打開力、フィジカルがベースとしてあったダイナミックなプレーだったので、それを余計感じました。

孤軍奮闘だったけど、ホントは日本ナンバーワンの選手…最盛期をレッズの一番苦しいときに捧げてくれました。あの最も悲しいVゴール他、レッズの喜怒哀楽は常に福田さんと共にあり、去年の降格かも…という時の埼スタで話してくれた内容も熱かった。
あの熱さ、愛こそがミスターレッズ、クラブのシンボルです。社長でもGMでも何でもいいから、クラブに戻ってきてほしいな…

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浦和レッズ 福田正博ベストゴール集

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レッズ❤を確認する5月①

少なくとも6月スタートは無いJリーグ。ということはまだ最低でも2ヶ月はブランクが続き、始まったとしても無観客試合の可能性も十分あるという厳しい状況です。

レッズも各選手も頑張ってるけど、音楽と違ってやっぱりスポーツには限界がある。
前の記事でこのGWはアーティストのSNSに救われた…と書いたけど、スポーツの良さ、特にサッカーの良さは伝わりません(もちろんしょうがないけど)

そんな中ふと思ったのは、原点を確認したいなぁと。

そこで以前も見た25周年のBlu-rayも見返し、25年史も読んでみました。




やっぱり27年間が蘇りますね〜⚽️大事な事はそれぞれ個人的な出来事とリンクしていて、走馬灯のように…という言葉がピッタリです。

特にBlu-rayには先行予約特典の、Jリーグ初勝利ヴェルディ戦ほぼノーカット版DVDが付いていて、この頃の熱量とか、感情の起伏とか、若さ故のアホな思考回路とか(^^;)色んな景色や思い出が生々しく再現され、ある意味苦しいくらい。

このDVDの解説を福田さんと水内さんがやってますが、確かにお2人仰るように常に全力疾走テンションマックスで、これでケガをしないわけがない…な試合で、この頃は他の試合も大体そうでした。
今となっては信じられないけど、とにかく最初のJリーグ全体に漂う空気感はあまりにも熱く、選手の中にはアマチュアから抜けられなくても、死ぬ気でプロを演じなきゃいけない…くらいの切迫感もありました。

そんな中レッズのJリーグ初年度1993年はサントリー・ニコスシリーズとも10位(最下位)の当然年間10位。ご存じの通りぶっちぎりで弱かった。

それでもレッズサポになったのは、単純に埼玉県に住んでいて、浦和にはとても縁があって子供のころからよく来ていて、第二の故郷のようなものだったから。選択の余地はありませんでした。未だに住んだことはないんだけど…(^-^;

Jリーグが始まる3年くらい前からプロサッカーリーグが始まる動きがあったけど、その頃も大学生で浦和駅付近でしょっちゅうバイトしてました。大学は東京だけど、大好きな浦和に通うのは苦になりませんでしたね。
そして三菱が浦和に来てくれるとなった時の高揚感はスゴイものがありました。それは浦和の町全体がそうで、一部反対はあったけど(^-^;バイトの職場での盛り上がりも凄かったことを覚えてます。プロサッカーが日本に出来るだけでも当時は全く信じられないのに、地元クラブができるなんで夢のようでした。

なのでJリーグ1年目はとにかく負けが当たり前だったけど、辛いとかつまらないとかは全く思いませんでした。ただ、その前の年のナビスコカップ天皇杯はまずまずの成績で、天皇杯はベスト4まで行ったから、その期待感との落差があったのは確かですが(^-^;

Jリーグ初年度の熱気はそんなもの全てを吹き飛ばすくらい凄かったですね。弱すぎるなかでも数少ない武器を使って勝った時の爽快感はたまりませんでした(^^♪

福田さんの打開力・トリビソンノのキック力・広瀬さんのフリーキック・柱谷さんの起点力…あとはただただ皆必死に頑張る。それくらいですかね武器は(^-^;

選手層が薄い・戦術が見合ってない・モラレスとフェレイラはよく分からない、準備が足りてなくて寄せ集め感が強い…後で分かったこと含めてマイナスは山のようにありました。プラスだっとことは上記の武器と圧倒的な熱量くらい。私たちも選手たちと同様、ただただハイなまま1年間駆け抜けた…そんな感じでした。

そして前年のナビスコ天皇杯Jリーグ初年度…この流れがその後の私の27年間を決定づけたと思います。

成績は最低だったけど、体験は最高だった。

レッズは、Jリーグは、やっぱりあの年を忘れてはいけないです。忘れてはいけないのもあるし、結局人が金を払って集まるということはそういうこと。
バブル崩壊のせいじゃなく、その後のJリーグや各クラブのやり方がお客さんの心を掴んでない…そういうことです。
ラグビーもちょっと熱量が下がってきてる感じがするけど、結局熱しやすく冷めやすい国民性を克服できてない例を増やしてるのかもしれません。


私的には最初の年がこれで幸運だったかもしれません。J2に落ちた年含めてこれより弱かった年はなかったわけで、結果に一喜一憂しすぎない…(するけど)でいられてるかな(^-^;

うん!過去を振り返って確認するのもなかなか楽しい作業で、普通の年にはできません。次回は2年目とか、各選手についてとかやってみようかな。

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