美味しいLIVEを味わうDIARY

レッズと音楽を美味しくいただきます

レッズ❤を確認する5月⑪

ロブソン・ポンテ

レッズ最強外国籍選手の話になると必ず出てくるロビー。
インパクトではエメやワシに譲りますが、チームへの貢献度、愛され方については2人に負けず劣らず。

ブンデスリーガレバークーゼンからギドに誘われて来てくれたけど、当時のレバークーゼンはCLにもバリバリ出ていた強豪クラブで、まだ当時比較的安価と言われたブラジルや東欧系の選手たちをうまく活用して競争力をつけてました。フランサとかもいましたね。

そんな中でロビーも主力でした。ブンデスリーガで活躍するブラジル人選手たちは一般的なイメージより堅実なケースが多いけど、ロビーもまさにそう。

しっかりしたスキルに卓越したプレービジョン。派手さはないけどやらかすこともない、信頼性抜群のプレーメーカー…でしたね(^^)

こういう選手がいると、周りの選手はホントに助かります。
もちろんワシのポストプレーやエメの打開力もありがたいけど、チームとしての戦いで苦しいときに安定して預けられるのはロビーのような選手。めっちゃ頼りになったと思いますね。

レッズには5年半、レッズとして最初の天皇杯を獲る2005年から、ギドに誘われてほぼマリッチと同時に来てくれました。天皇杯マリッチへのラストパスは絶品でしたね♪(^^)
2007年までの2年半タイトル全てはロビーと共にあり、彼は勝者のメンタリティも持ってました。

それだけに年末の右膝前十字靱帯損傷はホントに残念でした。復帰後モビリティや切れ味がイマイチになったかなぁ…😥

それでもそこでヨーロッパやブラジルに行けたと思いますが、クラブの模索の時期に奮闘してくれました。
特に元気や直輝、峻希には生きた手本だったでしょう。結局若返りしながらチーム力をアップさせる事は出来なかったけど、ロビーがいなかったら若いチームはバラバラになってたかもしれません。

最後までレッズ❤を貫いてくれたロビー。引退後もマウ・ファブ・エヴェの獲得に関わってくれたり、ファミリーとも言っていい存在。これからもずっといい関係を築けますように…☺


【サポ必見】感動のゴールシーンをもう一度!2005年シーズン浦和レッズゴール集4


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レッズ❤を確認する5月⑩

ギド・ブッフバルト

レッズの歴史上最初のワールドクラスプレーヤーギド。

来てくれた時はホント驚いたけど、それもそのはず、記憶の中の1番古いワールドカップは1986年メキシコでマラドーナの大会だったけど、次の西ドイツが優勝した1990年イタリア大会でそのマラドーナを封じ込めて優勝に貢献。生で見てました~(^^♪

スーパースター度では遥かにマラドーナだけど、チーム力で上回って優勝してしまったのは衝撃的でした。
そんなゲルマン魂を体現してたプレーヤーの一人がギドで、当時の日本のサッカーから見たら遥か天空の彼方にいるプレーヤーであり、まだまだサポーター初心者の私が舞い上がっちゃうのに十分でした。

しかも他のクラブはジーコリネカーリトバルスキー…と超大物いたのにレッズはフェレイラとモラレスだもの…😭あっという間にいなくなっちゃったし。
で、ルンメニゲもカールハインツじゃなくてミヒャエルだし(^^;)
それとのギャップでギドとバインとはサプライズでしたね(^^)

ギドはレッズに初めてプロを叩き込んでくれた人…のイメージです。大きい体にしっかりしたスキル。ゲルマン魂とか以前に、プロの準備・プロのメンタリティ・プロの勝ちへの執着…まだまだアマ感が強すぎるレッズを鍛えてくれました。

それでも入った年1994年は空回り感も強かったけど、1995年オジェックが来ると全部整理されていきなりちゃんとしたプロチームになりましたね。
この年のカウンターは面白いようにハマり、レッズは結局4位。福田さんはいきなり得点王で、去年までとは全く別のチームになりました。


レッズの27年の歴史を見ても、この年は分岐点になりました。
ちゃんと監督選手を揃え、ちゃんとしたやり方さえ出来れば駒場埼スタは劇場になり、普通なかなか得られない経験が出来る事が証明されたからです。

そのキッカケを与えてくれたギド。その後の監督時代にもっと分かったけど、とにかくカリスマの人なんだなと。


正直監督時代のサッカーはもどかしかった。
ワシとロビーに"後はお任せサッカー"になるのはしょうがないとして、これだけのメンバーで上位はともかく下位チームに対してまでゲームの主導権を握れない(握ろうとしない?)

長谷部と啓太はワシと闘莉王の間の広々としたスペースの中で一人で3人分くらいの仕事量(^^;)そのうち過労死しちゃうんじゃ…のレベルでした。
さらに闘莉王は攻撃参加大好き。そのカバーまで啓太はやらされて?ギドが監督初とはいえちょっとお任せに過ぎない?と。
確かにタイトルを獲れたけど、もっといっぱい獲れたんじゃ…と率直に思ったものです。

それでもギドがいなくなった後レッズはトラブル続き、あれだけ個性的な選手たちをまず一つにまとめることの方が重要な事も思い知らされました。選手たちのパス回しの輪によく入ってましたね〜♪(^^)

ここ最近はギドとの繋がりをあまり生かせてない気がします。
レッズにとって大切な財産のギド。今後もまた関わって欲しいなぁ…


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レッズ❤を確認する5月⑨

阿部勇樹

今でこそレッズの現役レジェンド、レッズを背負ってくれてるプレーヤーですが、2007年加入当初はとても嬉しかったけどちょっと違和感があったのも事実です。

レッズは当時毎年のように有名な選手を獲ってたのでその意味では驚かなかったけど、阿部ちゃんこそはオシムの組織サッカージェフの象徴的選手で、ギドレッズの個人能力重視とは対極のチームにいたのでそこが新鮮でした。

当時阿部ちゃんはレッズの選手層の中に入っても出られる選手になりたい…という向上心を持ってくれてたから良かったけど、それが無かったらその後のレッズは全く違う成績を辿っていたかもしれない。それだけ重要な選手になってくれました。
2010年の途中にレスターに移籍しますが、それが無ければ2011年の降格危機ももう少しマシだったかもしれない。あの時は去年よりもさらにドキドキしたもんな~(^-^;

その後2012年ミシャ就任と同時に戻ってきてくれて、大黒柱として2018年まではほぼ全試合に出てくれました。阿部ちゃんが出る試合と出ない試合とでは、チームのクオリティーが全く違うと思ったものです。


阿部ちゃんのスゴさとは…なかなか分かりにくいけど、1つは存在のデカさとシュッとした格好良さ。
阿部ちゃん178cmと言ってますが、プレーしてる時の姿勢が良かったり、全体を見てる雰囲気とか、もっと大きく見えます。
そしてそれを可能にするスキルの確かさやフィジカルを中心とした能力の高さ、ポジショニングの良さ、危機察知能力の高さ、ヘディングの強さ、周りを動かす能力の高さ、1対1の強さ、ミシャ式の習熟度…

ホントにキリがないけど、守備的なポジションに必要な能力全部が異常に高い。私が知る限りこういうプレーヤーは日本で他にいません。
さらにフリーキックも巧いしサイドチェンジの正確さもスゴいしキックの質も高い…



レッズの選手で例えると、槙野・モリ・那須・青木・航の強みを全部兼ね備えてる感じ。ここまでのポリバレントなプレーヤーはもう二度と出てこないかもね…

さらにレッズ❤も熱い選手ですね。負けが続いた時にサポーターと直接話したり、2017年ACL優勝の時の涙も忘れられません☺

チケット売るために街頭に立ってくれたり、色んなアイデアを出してくれたり…
言い方が微妙ですが、もう生え抜き選手と言っても問題ないくらい、"レッズの男"になってくれました。サポーターの人気も抜群😊

やっぱりいずれ阿部ちゃんにはレッズの社長をやって欲しい。色んな意味で彼以上の適任者はいない気がします。



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レッズ❤を確認する5月⑧

岡野雅行

ミスターレッズといえばもちろん福田さんですが、レッズといえばカウンター・スピード・泥臭い…というイメージの人たちにとって、象徴的なプレーヤーといえば野人・岡野でしょう。

横浜生まれ育ちながら島根県松江の高校に進学し、そこのサッカー部を1から作るという、ある意味今のガイナーレ鳥取の社長職に通じる部分を当時からやってたような気がします。

日大を中退して1994年にレッズに入りますが、その時鹿島とか6クラブから声掛けられてたらしい…知らなかった(^^;)レッズはとにかく弱かったし、相当熱心に誘ったことでしょう。

暢久や杉山も入った1994年。Jリーグ2年目でもまだまだ弱くて選手層薄く、ゲームに出れた事が後から考えたら良かった。
それでも2年目のレッズもまあ不器用でしたね(^^;)セカンドステージからはギドとバインが入って多少良くなるけど、1年目と一緒で攻撃の形が無い。
唯一水内や岡野がサイドに出されたボールを何とか拾って、とりあえず上げたクロスに泥臭く合わせてゴールに押し込む…
ホント、これくらいしかなかった。後のミシャ時代にcm単位の(ミリ単位だっけ?)ポジショニングなんて言葉が出てくるけど、私を含めこの時代を知る人は耳を疑ったことでしょう(^^;)

そんな不器用な攻撃でも点を取れてしまうのが岡野のスゴさでした。
確かに巧くはなかったけど、サッカーなんて裏取って押し込めばいいのよ…というシンプルな思考にはピッタリで、ダイナミックな岡野のプレーにはシビれました。点を取るのって簡単なのね…


【野人】岡野雅行 爆走伝説!【ゴール集】


2年目以降駒場の熱狂の真ん中には岡野がいました。野人が人間をあっという間に置き去りにして(^^;)ゴールを決める風景は爽快だったな〜♪

日本代表にも入って、1997年ジョホールバルVゴールを決めて"持ってる"選手にもなりました。無名から一気にのし上がりましたね。


ただ、この1997年にはレッズはケッペル監督でつなぐサッカーに転換してあまり上手くいかず、この辺りから岡野もリズムが狂いがちになった気がします。

レッズも迷走して1999年にはJ2陥落。岡野はJ2も頑張ってくれたけど、2001年J1に上がった年のチッタ監督とは合わず神戸へレンタル移籍。
2003年には完全移籍になってどうなることかと思ったけど、2004年ギド監督になった年に戻ってきてくれてホッとしました☺

ここからはレッズ全盛期だっただけに、今度はタイミング良かった。ただしこの時点で32歳、メンバーは以前と違ってめっちゃ豪華。
いわゆるスーパーサブ的な使われ方が増えましたが、そうなると岡野の俊足は生きるし、ベンチは岡野の明るさでまとまる…という好循環になりました。
2004年にステージ優勝、2005・2006年に天皇杯連覇、2006年はリーグとのダブル、2007年にACL制覇…と一番いい時にチームにいてくれて良かった。リーグ優勝の時はパレードの後のセレモニーで”うらーわレッズ"と音頭をとったのも”らしかった”です。

そして2008年でレッズ退団。その後はガイナーレ鳥取で選手生活を終え、今社長兼GM。とっても苦しい状況ですが、いくら松江でお世話になったから…とはいえそういう所へ喜んで飛び込んでいくのも岡野”らしい”です。

レオナルドをブラジルに行って連れてくるとか普通のGMではやらないでしょう。
そのお陰でレッズは助かってますが、ある意味今のレッズに足りないモノもまた岡野に教わった気がします。

そう、やっぱり自分たちでリスクとって、ダメならダメで這いつくばってのし上がらないとね。
ビッグクラブだからそれは出来ない…は分かりますが、まだ"たかが"80億です。そういうこと言ってるから、他のJクラブに抜かれそうになる。
野人魂でギラギラと、野心を隠せないくらいの雰囲気で行かないと。

レオナルドを連れてくる時に、ボールとシューズだけあればいい…(だったかな?)と言われて感動し、それを鳥取の選手たちに伝えたい…って言ってたけど、レッズの選手たちはもっとハングリー精神が無いと思うので(^^;)浦和でもやって欲しいな☺

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レッズ❤を確認する5月⑦

ワシントン

25周年Blu-rayの特典DVDで福田さんも言ってましたが、ものすごい熱だったJリーグ初年度で、レッズのキャラクターは硬派・男臭い…と定まった感があります。

まだまだバブルの残り香があったこの時代、ヴェルディを中心にサッカー選手といえばチャラいキャラの代表であり、点取り屋といえば六本木の得点王と言われたものでした…

当時の空気感を味わってないと実感として分かりにくいけど、駒場は明らかに他のスタジアムと空気や匂いが違う。
そして暗めでトラックもあるけど、臨場感高めのギュッとした凝縮感が独特の魅力でもありました。


そんな流れもあってか、レッズはその規模や売上、人気の割に世界的に有名で華やかな外国籍選手が少ないと思います。

ギドはもちろんスーパースターですが、ロビー・チキ・ボリ・バイン・ドニゼッチ・アルパイ…有名さでその次くらいの選手たちも、実力は申し分なくても悪く言えば地味、良く言えば名より実な選手たちでした。
(あ、エジムンドが帰らなかったらレッズとして超異色だったかな(^^;)

そしてワシントンもブラジル1部得点王だったり、セレソンでも点を取ったりと素晴らしい選手ですが、ブラジル代表のあまりの層の厚さから目立ち度としてはまずまずくらい、心臓病のリスクもあったりでヨーロッパのビッグクラブには行かず、ネームバリューも高くなりませんでした。(だからこそヴェルディが獲れたんだろうけど)



レッズ在籍はたった2年ですが、それにしても強烈なインパクトでした。
得点力や高さ、足元の技術、カウンターの時の迫力…もスゴかったけど、一番強烈だったのはポストプレーでしたね。Jリーグでは見たことのないもので、やっぱり世界はスゴいと思ったものです。とにかく懐が深い。

ブラジル人選手らしくプレーヤーモードになると喜怒哀楽がはっきりします。そしてレッズサポの心臓病財団へのチャリティー活動(ワシントンのゴールごとに)があったりして、サポとの絆も深まりました。

対してオジェックとはもう最悪(^^;)絵に描いたような(?)ドイツ人とブラジル人の相性から問題行動多発。こうなるともう誰も止められません(^^;)

結局クラブとはかなり後味悪い感じで退団。悪いイメージなのかな?と思っていたけど、啓太の同窓会的引退試合の時に来てくれて、ボルテでサイン会をやってくれた時はサイコーでしたね(^^)


その日は力の辺りに表れて写真を撮ってくれたり、とにかくサービス精神と笑顔が満載で不安は吹き飛びました😊

他にも時々メッセージを送ってくれたり、先日もレオナルドとインスタライブをやってくれたり、変わらない❤を確認できました(^^)

また浦和に遊びに来てね!


Urawa Reds - Washington Goals 2006

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レッズ❤を確認する5月⑥

小野伸二

繊細なボールタッチ・吸い付くようなトラップ・豊富なアイデア・心の底から楽しそうなプレー…
私たちや伸二と同世代の人たちにとって、彼こそキャプテン翼を体現した選手であり、2度と現れない最高のプレーヤーだと思ったものです。

清水商業時代やそれ以前の伝説は数多く、Jリーグ13チームのオファーの中からレッズを選んでくれた時は興奮しましたね〜♪(^^)

レッズに入ってからは常に苦労があったけど、J2に落ちた時もいてくれたり、フェイエノールトで成功してからギド時代に戻ってきてくれたり、サポーターの気持ちにいつも応えてくれました♪(^^)

③の長谷部の時に言ったけど、見た目頼りなく、プロで成功はムリなんじゃ…と思ったのは長谷部の方。
ですが今も共に現役の2人で無事之名馬なのも長谷部の方で、伸二は慢性的な足元のケガに悩むことになるから分からないものです。
長谷部もケガや離脱はちょいちょいあったけど、戻ってきた時にあまり前と変わらないプレーぶりでした。

伸二のその始まりはたぶん1999年代表の時の膝靱帯断裂で、ますますフィジカルが大事になる時代に向けて厳しかったですね。ガラスの膝になってしまった…

それでもフェイエノールト時代は環境や気質がフィットしたのか、楽しくプレーする伸二が蘇ってましたね。
オランダもだいぶ変わったとはいえ、メンタリティはまだクライフが残ってます。ここで名が世界に知れ渡った事が、その後の伸二を決めたかもしれません。

レッズに戻ってきてくれたのはギド時代の全盛期。オジェックにしてもそうだけど、結果や守備重視だっただけにある意味タイミングも良くなかった。

ボーフム→清水→ウェスタシドニー→札幌→琉球
2回目のレッズを出てからは、タイトルやお金より、自身が楽しんだり地域に貢献する…な方にシフトしていった気がしますね。
でもそれが伸二らしさであり、翼くん的サッカー小僧だと思えます。

ちょっと心配だったのは、最後オジェックやクラブとイマイチな感じだったから、あまりレッズを良く思ってないかな…だったけど、暢久の引退試合や河合の引退試合(伸二の札幌ラスト)に実際に行くと、少なくともサポに対しては問題ないのが分かって良かった😭

世界中で愛されたサッカー小僧伸二。彼が楽しそうな顔をしてるだけで幸せです(^^)
まだ若い時に、プライベートの場面(大宮)でばったり会ったけど、友人と一緒だった彼は全く飾らない、そのままの人だった。あれだけの超有名人であまりこういう人はいないです。

まだ引退してないのに失礼ですが、何番目でも良いから引退試合埼スタでもやってほしいなぁ…


小野伸二 あまりに上手すぎて笑ってしますスーパープレー集 天才のトラップ&ゴール 高校サッカー●Jリーグ 日本代表 フェイエノールト Shinji Ono Skills Pass&Goals


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レッズ❤を確認する5月⑤

山田暢久

Jリーグや海外のサッカーで色んな選手を見てきましたが、彼ほど表現が難しい、好き嫌いの別れ方が微妙な選手は珍しいと思います。

普通嫌われる選手は、問題児で規律違反が多い・あまりにもチャラい・言い訳が多い…等、分かりやすい場合が多いけど、暢久はイエローカードが多いくらいで問題が多い…わけではない(レッズから離れることになった理由はよく分からないけど)。

一番分かりやすい言い方は、飄々としていてつかみどころがない…かな。間が悪い・努力が見えにくい…もあるかもしれません。これでも暢久を正確に表現出来てないかもしれませんが。

イエローカードが多いのも、暢久の身体能力が高いので届くはずがない場所に当たってしまった…とか、審判のレベルの低さとの合わせ技だったり、それが原因で目を付けられたり…なのが多かった。
怒り新党"で取り上げられた、気の毒なイエローカードとかはまさにその象徴で、間の悪い人っているよね…を地で行く存在で、伝説に事欠きません。

それでもレッズにJリーグ2年目1994年から入って約20年、ずっとレッズに貢献してくれました。
彼ほど監督にとって有難い選手はいなくて、とにかく選手としての能力全てが高い。技術・スピード・パワー・攻撃センス・しなやかさ・加速力・ケガの少なさ・ほぼ全てのポジションをこなせる万能性・1対1の強さ…長所を挙げればキリがない。

特に右サイドでの圧倒的な1対1の強さはずっとレッズの強みでした。対応力が凄いというか、全盛期の暢久が本気を出せば(?)ヨーロッパのトップクラブの右サイドバックレギュラーを普通にこなしても全く驚きません。背が低めでもヘディングもあまり負けませんでしたね…

数少ないけど欠点もあり、特に判断力かな。フリーでボールを持った時にフラフラと彷徨いがちなのは埼スタ名物でもありました(^-^;

なのでキャプテンになると分かった時は浦和がザワつきました(^-^;選手間では、性格に問題があるから敢えて言い訳できないキャプテンにしたんじゃ…と笑いながら言ってたけど(^-^;それもあまり笑えない感じでした。

それでもキャプテンとして、いじられながら愛されたと思いますね(^^♪慎三がチャント一番好き…と言ってたけど、確かに盛り上がった感じするな~♪キャプテンにも色んな形があると思ったものです。

引退試合は自腹だから皆来てくれないと持ち出しになっちゃって大変…な話も彼らしくて微笑ましかった(^^♪最後まで暢久らしくて良かったです。最高の引退試合でしたね。

レッズは暢久と平さん引退の後サイドが強みとは言えなくなった気がします。
それはオールラウンダー・ポリバレント重視のミシャ長期政権だった影響かもしれないけど、やっぱりサイドが強くないとサッカーは面白くない(個人的に)。
土田さんの描く方向性はサイド重視のように感じるので、また暢久のようなプレーヤーが現れることを期待したいです。ただ、あのキャラクターもおまけに付いてくるなら、ちょっと身構えてしまうのも確かですが…(^-^;


【タリーさんなんて言わせない】山田暢久魂のゴール集

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